Heavenly Blue




 カイは隣で寝ていた男の体温が消えた事で目を覚ました。
 元より軍人としての生活が長く寝ている間でも気配には敏感だが、今ベッドを共にしている男の気配に関しては、特にそれが離れようとするものに関しては、外した憶えがない。
「ソル?今何時だ?」
「まだ三時前だ。もう少し寝てろ」
 ヘッドギアを着けただけのソルは、サイドテーブルに置いてあった水差しから直接水を飲んでいる所だった。
 窓からの月光に屈強でしなやかな肢体が浮かび上がると色濃く残った情痕にカイの顔が緩む。
 今この胸にある甘い気持ちは嘘だ。
 何故ならカイがソルに抱く感情は良くも悪くも常に激烈で苛烈だからだ。
 カイはその感情を愛だとか恋だとかいう優しい名前で呼んだ事はない。
 だが女と寝た後に抱いた事のない奇妙な満足感を否定する気もない。
「何笑ってやがる、気味悪ぃ」
 ソルの金の右目が訝しげに、口元が不愉快そうに歪む。
 緩んでいた顔を意識的に、人好きがすると評される笑顔に変えてカイが下らない思いつきを口にした。
「抱き枕がなくて寒いんだ。早く戻れ」
 これ見よがしに先程までソルが寝ていた窪みを叩く。
 替えたばかりのリネンに残る体温とあからさまに嫌悪の表情をするソルに笑みを誘われた。
「いい加減添い寝してくれる女でも見付けろ」
「嫌ですよ、面倒しい。一晩限りという約束も一晩で忘れる人達ですよ」
 今度はカイの方がうんざりと顔を顰める。
 カイのような立場にいると望みもしないベッドが用意されていたり女性との付き合いを勧められる事が往々にしてある。
 彼にとってそれは仕事の延長のようなもので楽しい事もあるが面倒の方が先に立つ代物でしかない。
 そんな意識の所為か口調も敬語になっていた。
「英雄も大変だな」
「ソル。そう呼ぶなと前にも言っただろう」
 諦め混じりの声に本当の嫌悪が表れる。
 カイは自分を英雄だ希望だと思っていないが聖戦末期の、白骨の山の上に屍を重ねていくような戦場には目に見える、信頼できる何かが必要だと知っていた。
 それだけの力もあったし他に適任者が居なかった事もある。
 そうであった事を間違っていたとは決して思わないが、ソルには、ソルにだけはそう呼ばれたくない。
 本当の意味での聖戦の英雄はソルだと思っているからだ。
 「じゃあやっぱり坊やだな」
 喉の奥で笑いながら散らかった服を着るソルはいつも通りの皮肉さでそう返した。
 ジーンズを穿いてタンクトップを着た所でカイがベッドの上からジャケットを引っ張った。
「出て行く元気があるならもう一回やらないか」
 ソルは舌打ちして無理矢理カイの手からジャケットを取り返そうとするが、それに気を取られて腰に回ってきた腕に反応が遅れる。
「ふざけんな、さっさと寝ろ!」
「だから寝ようと言っているんだろうが」
 噛み合わない会話に脱力しかけるがセクシャルに腰回りを這う手の甲をつねり上げて振り向き様に頭突きをくれてやると流石のカイも掴んでいた手を離した。
「酷い…アザになるじゃないか」
 カイは痛いとわざとらしく言いながら額を押さえるが、ソルはそれを無視し取り戻したジャケットを着込むと各所のベルトを締め直した。
 今度はつまらないとベッドで呟くカイにうんざりとした視線を向けるソルは、しかし何かを思いついたらしくニヤリと笑って見せる。
「一晩付き合ってやっても良いが、高いぜ?」
 うつうつとした表情を一変させたカイがいくらだと急かした。
 やる気満々のその様子にソルは人の悪い笑みを深める。
「金じゃねぇ、青い薔薇持ってこい」
 カイにしては珍しく僅かばかり沈黙し普段滅多に見せる事のない困惑の表情になった。
 先程との落差にソルは楽しげな笑みを崩さない。
「確かに不可能の代名詞だが、それで良いのか?」
「ただの青い薔薇じゃねぇぞ。本物の青色系色素を95%以上含む青い薔薇だ。証明書もな」
「?」
「その辺に出回ってる青バラって銘打ったやつはバラの中にある赤系橙系の色素を低くしたモンで青色系色素を持ってない。まぁ、ロザシアニンって青薔薇のみに含まれる青色系色素も存在するらしいが、それでバラ作ったって話は聞かねぇな」
「よく解らないが、お前の話を聞いていると青いバラがそもそも存在しない事にならないか」
「自然界には存在しないな」
「引っかかる言い方だな?」
「遺伝子組み換えでなら、存在しうる」
 先程よりも長い沈黙の後笑いをかみ殺して口の端を歪めるソルに、カイは恨みがましい目を向けた。
「それはブラックテックと言わないか?」
「言うな」
「過労死しろとでも?」
「そんくれぇで死ぬタマか。どうせこういう事やりそうな好事家のリストとかあんだろ。丁度良いから大掃除しろよ」
「そうだな、良い機会かもしれん」
 早速捜査の算段を立て始めるカイの頭を軽く小突く。
「いいからさっさと寝ろよ。そんなだから背ぇ伸びないんだぜ」
「う、痛い所を…」
 ひらりと手を振って部屋を出ようとするソルの髪を引っ張り、カイがバランスを崩した身体を支える。
 怒声を上げようとしたソルの口に軽く口付けて天使と評される男はにこやかに微笑んだ。
「おやすみ、ソル。楽しみにしていてくれ」
 明け透けな笑顔に毒気を抜かれて、ソルは苦笑するとガキがと呟いた。


 青い封蝋に見覚えのあるKの刻印が捺された封筒が、人づてにソルの元に来たのはそれから2ヶ月後の事だった。


「ソル!意外と早かったな」
 苦虫を噛みつぶしたような渋面のソルをカイは晴れやかな笑顔で迎えた。
「仕事が早ぇじゃねぇか」
 薔薇のエンボスが捺された封筒をカイの鼻先に突きつけて抱擁しようとするのを牽制する。
 いくらカイの自宅で人目がないと言ってもベタベタされる憶えはない。
 ソルはこの男の恋人ではないのだから。
 手紙の内容は簡単だった。
"約束のものが手に入った。暇ができたら是非家に来てくれ。 KK"
 狩りが終わった換金所でその手紙を受け取り、俄には信じがたかったがカイの手腕と最近の警察機構の動きを見てもしや、とやってきたのだ。
「あぁ、思っていた程難しくはなかったぞ。好事家の自慢話には辟易したがな」
 こっちだと歩き出すカイに素直にソルがついて行くと寝室のサイドテーブルに優美なアーチを描く円筒形をした鳥籠のようなものが青い天鵞絨を纏って鎮座していた。
 金糸の縫い取りがしてある天鵞絨をカイがゆっくり取り去るとそこには典雅な模様を刻んだ硝子に守られた瑠璃色の薔薇が緩く下を向いて咲いている。
 素人目にも奇跡のような形と色は、玄人が見れば有り得ないと絶叫するに違いない代物だった。
 高い芯に柔らかさと鋭さを備えた花弁は誰もが青としか表現しようのないスペインの夏空の色。
 万人が陶酔して見とれそうなその薔薇だが、ソルは額の刻印がちりつくのを感じて眉を顰めた。よく見れば、硝子の模様はギアの能力を封じる封紋だ。
「坊や」
「流石に判ったな。これにはギア細胞が使われている」
 カイは生け捕りにするのは大変だったと至極あっさりと言い、調査書をソルに渡す。
 青い色を保つには花弁の中がアルカリ性でなくてはならず、バラは酸性寄りの為青色系色素を誘導する遺伝子を持っていても青になりきれず白っぽくなってしまう。
 また植物は木と草では木の方が原始的な部類に入り遺伝子操作そのものが難しい。原始的な生物の方が外的環境の影響を受け入れづらいのだ。
 そこで対象の遺伝子を組み換える力が強いギア細胞に諸々の条件付けをしてバラに組み込むという計画が持ち上がり、当時まだ科学技術が残っており聖戦の被害も大きくなかった濠州で密かに進められる。
 結果としては資金やブラックテックへの締め付けが厳しくなり計画そのものは頓挫した。
 だが園芸家の一人が幾つかの株を持ち出し根気よく交配を繰り返し、ついにそれは成功してしまう。
 しかしその園芸家は青い薔薇の育種家としての栄誉に浴する事はなかった。
 完成した青い薔薇のギア細胞が彼に牙を剥いたからだ。
 この青い薔薇のギアは園芸家の後援となっていた好事家がどうにか封印し、当時設立して間もなかった聖騎士団の目も免れその美しさを失うことなく100年近く好事家達に庇護され続ける。
 その庇護も、カイの捜査の手が及ぶまでではあったが。
「それをどうするかはお前に任せよう。既に私に処分されているはずのものだからな」
 一通り報告書を読むと紙片の束をカイに返し、ソルは硝子の封を解いた。
 拘束式から放たれた薔薇はうぞうぞと軟体動物じみた動きでソルの腕に絡みつく。
 解き放たれた事を喜ぶような、あるいは創造主に縋るような動きの薔薇を、だがソルは紅蓮の炎によって一瞬で消し炭にした。
 きつい薔薇の香りに嗅覚の鋭いソルはあからさまに顔を顰める。
「この薔薇の持ち主な」
「あ?」
 喋りながらカイがソルの腕を取り薔薇の灰を払う。
「催淫効果があるとこの薔薇の香を売っていて足がついたんだ」
 カイがくすりと笑って指を軽く噛むと、ソルが笑いながらカイの手を払った。
「下らねぇな」
「全くだ」
 口付けようとするカイからソルが逃げようと身動ぐ。
「動かないで、今日だけの私の恋人」
 言ってからその言葉の甘さに微笑が漏れた。
 薔薇の香りより甘い、恐らく自分達からは最も遠い言葉だ。
 ソルも同じ事を考えたのか似たように苦笑する。
「下らねぇ約束したもんだ」
 それを承諾と取り、カイは笑って口付けた。
 一夜限りの恋人に。




'06.09.10  月代 燎
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砂糖ざらめ様に捧げます。
2000hitこと1999hitリクエスト「我が儘を言うソルと本当にそれを叶えてしまうカイ」です。
えーと、素敵なリクエスト頂いたのに全然活かせてません。
申し訳ございませんorz
あと100年もすれば本当にロザシアニンの青い薔薇とかできてそうですけど、この場ではないという事にしておいて下さい。
これで宜しければどうぞお納め下さいませ。



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