彼と出会ったのは、代理として。
だから私は、ずっと身代わりだと、思っていた。
それが普通だろう。
それを悲しいなどと、思うことはない。
ここは、優しく甘く、曖昧な「 」を許された場所。
「若紫、お呼びだ」
「………私を?」
お茶を挽くことが多かった若紫―――本来の名はヴェノムというのだが―――にとって、それは驚くに値することだっ
た。
周囲が白く肌を塗り、美しく飾る中で、彼の肌は褐色であり、飾り気もあまり無い。
生来の性格も起因して、格子越しに客を呼び寄せるのも苦手とあり、部屋持ち新造となった今でもお職の傍仕えじみ
たことをして日々の食費を助けている。
そんな自分に客が? と思いはしたものの、呼ばれれば行くのは当然。
自室の畳まれた布団のもとに、鎮座して客を待った。
この時間が、苦手である。
普通の客ならば良い。
だが、主義主張が苦手なヴェノムにつく客はその気の弱さを好む嗜虐趣味者が多く、おかげで一日縄のあとが残るこ
ともあった。
普通の趣味の、客だと良い。
えり好み出来ない立場だと知ってはいても、それと感情は別物である。
息をついていれば、襖の向こうに気配を感じた。
番新の梅喧が、襖を引き、男が入ってくる。
男を見つめ、思わずヴェノムは息を呑んだ。
彼のことは知っていた。
何度か、彼の座敷にお職の黄金(くかね)と共に上がった覚えがある。
あの大店キスク屋の子息と、仲が良いのか悪いのか甚だしく疑問で―――。
どちらかといえば、この店のお職、黄金と酒飲み仲間といわんばかりに仲が良かった(それは、彼の馴染みであり唯
一の色と呼ばれるカイ=キスクが騒ぎ立てるほどに)
ゆえに、彼が自身のもとに来るはずがないのだと。
確信があった。
「若紫? どうした?」
気づけば、梅喧はとうにいない。
挿された線香が、ゆらと細い煙を吐き出している。
「………あ、いや。君は、お職の馴染みではないのか」
「座敷にゃ上がったが、馴染みじゃないねぇ。お前さんの馴染みにしてくれるかい?」
墨染めの着物に、鮮やかな金糸の髪が映える。
長い髪をひとつにくくり、いかにも伊達男といった風体。
初回では喋らないというしきたりなど、今では最早お職にしか守り通されてはいない。
布団を、と誘えば、それよりも一献付き合って欲しいと笑って断られた。
台の物は、馴染みがあるのか仕出しを頼む。
そんな様子さえ手馴れたもので、彼がいかにこの吉原に慣れ親しんでいるのかをヴェノムに教えた。
「なんか好きなモンあるなら、遠慮なく言え?」
首を傾けて笑う。
気障な様子を隠しもせずに、むしろそれを似合いとさえみせて。
一見浪人風ではあるが、店に預けた刀はしっかりと使い込まれ、見せ掛けでないことを教える。
着物越しにでもわかる男の身体が、ただの伊達男でないことを訴える。
それでも、ヴェノムはかまわない。
ここはただ、偽りと真実の間で優しい言葉を吐く寝床。
気の利いたことなどひとつも言えないけれど。
ここはそういう場所だから。
なにも言わない男が、ヴェノムには居心地が良かった。
男との出会いは、少し前。
男がなじみとなるのは、ここから。
三日、続けて通ってきた男は、自らをジョニーと名乗った。
その上で、ヴェノムにも源氏名でない、名前を問うた。
名乗ってしまったのは、何故だったか。
覚えてはいない。
もはや偽りと真実の間などと、言えなかったからかもしれないし、違うかもしれない。
彼の傍は居心地が良くて。
勘違いを、してしまいそうで。
「………いい加減、喧嘩をしたからといって私の部屋へ飛び込んでくるのは如何かと思うのだが。お職」
「っせぇな……。野郎が俺の部屋に居座ってやがんだ。他の場所行こうモンなら、突撃してくるしよ」
少しは落ち着けさせろと、煙管を乱雑に吹かすのが、この店のお職である黄金。本来の名をソルといい、彼はヴェノム
と、色のカイ、それに、他数人にはこうして私的な時間は名前を呼ばせていた。
彼にとって源氏名は源氏名でしかないようで、オンとオフの使い分けだと言い切っている。
もっとも、流石に客の前ではそうそうそんなこと許しはしていないが。
「だからといって、毎回私の部屋というのも芸がないだろうに」
「俺がテメェを自分付きにさせてんのは、あの坊やも知ってるからな。お前にまで、迷惑はかけたくないんだろ………?」
くく、っと、喉奥で笑う様子を見やれば、ヴェノムはカイへ向けてかわいそうにと静かに心で合掌した。
今頃は、禿か誰かに相手をさせているのだろう。
時間稼ぎでしかないが、彼は良くも悪くも紳士だった。
ヴェノムの役目は、この盛大に根性の捻くれ曲がった店一番の稼ぎ手を、馴染みの元へ戻すことである。
「で? お前のほうは、上手くいってんのか?」
唐突な問いに、調律をしていた弦を弾いてしまう。
ビィン、としなる弦は予想以上にしなり、指を傷つけた。
呆れたようにしながらも薬箱を、ちょうど歩いていたほかの陰間に言って番新から借りてくるように頼む。
大した血も出ていないが、一応と念押されればありがたく言葉を聞き入れ、そろそろと三味線を手にした。
「随分派手な動揺の仕方だな? ヴェノム」
「………、私を槍玉に挙げて彼の元へ行かせようとする話しを逸らさせるのならば、無意味だぞ」
すだれのようにかかる銀の髪越しに、相手を睨みつける。
まさか、と肩をすくめ、裾を奔放に崩した態度でソルは低い天井を仰いだ。
「上手くいってるように見えるんだがな、俺には」
「上手くいっている。なにも問題なく」
彼がヴェノムの客になってからというもの、ヴェノムの衣装は格段に増えた。
それは、小物しかり、食事しかり。
ついた客の粋の具合で、ここは苦界にも浄土にもなる。
吉原とは、そういうところだ。
ならば今のヴェノムの現状は、浄土寄りといっても過言ではなかろう。
「なんなら、いい彫師でも紹介してやるぜ? 腕に野郎の名前でも彫れば、嫌でもお前は自覚するだろ」
腕に相手の名前を彫ったり、もしくは起請を書いたり。
ひと時のものとはいえ、その時は本気だと示すそれらは、今も昔も変わらず吉原で横行していることの一つだ。
もっとも、起請は気軽く出せることから、遊女のチラシ扱い程度なのだが。
「自覚など、必要なかろう。ここは、ただ優しい言葉を吐く場所だ。ジョニーとて、それをわかっている」
「その優しい言葉を、本気にする奴はどうする。多かれ少なかれ、一度は経験する痛みも嘘と言えるほど、お前もまだ根
性歪んじゃいねぇだろ」
「………そう言われれば、困るが」
「認めちまえ。お前は、あの気障男を選んだんだろ」
「………」
「ヴェノム」
若干、責めるような声音なのは、致し方ないことかもしれない。
ここは、嘘を吐く場所だ。
本当のことなど言ってしまえば、辛くなるより他は無い。
けれども、胸のうちを隠し通せるほど彼が器用でないことも、知っている。
ならばいっそ自覚して。
その上で苦しめと、ソルは言っているのである。
きゅい、と、三味線の弦を引きなおし、バチで音を確認していく。
静々と動く指の動きは滑らかで、この不器用ささえなければ、二間続きに格上げされようものをといささか残念に思う。
唄も手習いも囲碁も三味線も、けしてソルに引けをとるものではない。
ただ、今一歩が足りず、さらに押しの弱さと性格の穏やかさが重なって、あまり良いようにこの世界でとられたことが無
い。
いたずらに変態共の餌食になるよりはと、ジョニーにヴェノムを薦めたのはソルである。
カイを元々連れてきた男は、あちらこちらの女を渡り歩き、たまたまこの店でお職を張るソルと出会った。
必要以上に踏み込まない現実主義者は見ているこちらが気持ちよく、馴染みにならぬまでも座敷程度であれば上がる
仲。
自分付きのヴェノムにも面通しをさせれば、気に入っていたのは火を見るより明らかだったために―――、紹介もかね
て、彼の部屋へ上がらせたのだ。
経過も結果も上々。
思いあう姿は、正直見ていて清々しい。
こんな苦界のこんな時代だからこそ、穏やかな二人と言うのは見ていて悪くない。
けれどそれも程度次第。
ここより先に進まねば、自身を通して、この世界でやっていくことなど出来ずにそれこそ変態に身請けされて仕舞いだ
ろう。
それではいささか、ヴェノムが報われない。
普段の己の性格とはまるで違うことではあるが、偶のことだと最早諦めているソルだ。
「迷惑がかかる」
「野郎はそう思っちゃいねぇよ」
「だが、迷惑になる」
首を振るヴェノムの目にあるのは、諦観。
「私はここで待つのが、性にあっている。彼が来たい時に、来れば良い。お職には心配をさせているが、私はそれで良
い」
べん、べん、と音を確かめるヴェノムの笑みは、薄く、けれどもはっきり見て取れる。
吐息をひとつつけば、襖の向こうから禿の幼い声がかかった。
「若紫の姐さま。ジョニーさんがいらっしゃいました。お部屋におあげして、よろしいですか?」
「あぁ。部屋へ通してくれ」
「あい。それと、金色の姐さま。旦那さん、少し怖なってるって、言うてましたから。戻ってください」
「根性のすわらねぇ坊やだ」
言いながらも、結局戻るのだから素直ではない。
くすりと笑えば、黙れと言わんばかりに睨みつけられてしまった。
「心配をかけた」
「テメェがそれでいいなら、もう言わねぇ。邪魔したな」
「旦那さまに、よろしく伝えてくれ」
「ついでに菓子折りでも届けさせるよう、言っとくさ」
肩口に手を振り、足音を立てて部屋を出る。
最後の一音がちょうど合えば、馴染みの男の到着を告げる声がかかった。
「よう、元気にしてたか? ヴェノム」
かかる声に、ヴェノムは穏やか微笑む。
嘘しかない世界だけれど、確かに真実があった。
ここには確かに、真実「 」があるのだ。
桜 花 殉 情
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銀猫さんから頂きました女王に並ぶGG界の苦労人ヴェノのお話です。
落書きを送りつけた上にこんな可愛いヴェノを貰って良いんでしょうかと思う所ですがもう貰ったので返しません。
銀猫さん有難うございます(深々
元は英泉の「浮世四十八癖 爪引の潮来節」という絵です。
この時代の髪型と言えば全部まとめ上げるので前髪をどうするか一番悩みました。
しかしそうすると誰かサッパリ判らなくなるので下ろしてます。
そうすると今度は模様を描かねばならん訳ですがそれをすると着物に全く合いません。なので模様はありません。
…ご都合主義です、判ってます。因みにフォントに使っている色がWeb上で定義されている若紫です。
懲りてないので花魁な女王も描くと思います(ぇ
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