前夜
薄暗い天幕のなかで蝋燭の火が頼りなく揺れる。
ラヴェンダーの精油を練り込めた蝋は優雅な芳香を漂わせていた。
香蝋ではない甘い匂いはアルコールの薫り。
柔らかな薫りは天幕が張られている場所が戦場であることを忘れさせる。
だがそれら最上級の嗜好品をもってしてもカイの憂鬱そうな表情は晴れなかった。
溜息を一つ吐きグラスを置く。
「居るんだろう。いいから入ってこい」
足音も立てずに本陣の中心にある天幕へ侵入してきたのは戦塵を被ったソルだった。
当然のようにカイの簡易寝台に腰掛けるソルへ新しく出したグラスを渡す。
ソルはそれを受け取りカイが黄金色の酒を注いだ。
立ち上る甘い薫りにソルが目元を緩める。
カイは旅行だろうと遠征だろうと殆ど私物を持たない。
封雷剣以外で唯一持ち歩くカバンには簡素な一対のグラスとアルマニャックのハーフボトルが入っているだけだ。
それとて使う機会は滅多に無い。
旅先でソルに会った時だけに開けられるからだ。
二人でつまみのチョコレートを齧りグラスを傾ける。
「ソル。連王に私の名前を上げたのはお前だな?」
問われたソルはちらりとカイの方へ視線を向けるがすぐ手元に戻す。
その反応がカイの言葉を肯定していた。
悪い癖だと思いながらカイは眉間に皺を刻む。
今回二人は敵として相対していた。
ソルは独立連合軍に雇われた傭兵、カイはそれを鎮圧する国連治安維持部隊の指揮官。
独立連合軍とはかつてオクシタニアと呼ばれた南仏の都市群がフランスから独立するために起こした軍隊である。
元より独自色も強く肥沃な大地を持つこれらの地域は聖戦の痛手からいち早く復興し国力の回復しきっていないフランスからの独立を宣言した。
何度か話し合いの機会も持たれたがその度に関係の悪化を招いただけに終わる。
国連加盟国の建前上独自の軍事力を持てないフランスは治安維持部隊の出動を要請。
命令を下されたカイは個人的感情は抜きにして元騎士団員を中心に少数精鋭の鎮圧部隊を編成した。
国際警察機構長官であるカイが一時的とはいえ国連に編入されたのは、その軍事的手腕を見込まれた為でもあるが世論操作の目的も大きい。
これにはアルビジョワ十字軍の再現だという批判も出ている。
同じカトリック教徒同士での戦争だというのに教皇庁が全くノーリアクションであるためだ。
事実、裏でカイを指揮官に推挙したり連王に就ける工作をしているのはフランスと教皇庁である。
13世紀までは南仏はオクシタニア公国という独立国家だった上に言語も北部のオイル語に対して南部はオック語と呼ばれる多少特殊な言語を今も使っている。
かつてアルビジョワ派が権勢を誇った南仏への不信感と経済力への危機感が敬虔なカトリック信徒で聖戦の英雄カイ=キスクを引きずりだす要因になったのだった。
対する独立連合は潤沢な資金力と市民の士気の高さで抵抗する。
だが高額の報酬に釣られた賞金稼ぎによる暴行や各都市間のパワーゲームで独立連合軍は半壊していた。
しかしカイの率いる治安部隊とて全くの無傷ではない。
南仏は兎角暑い。重装備で1時間動き回ればそれだけで熱中症確実な気候だ。
その上ほぼ全ての都市が敵に回っているので補給が難しい。
カイはそれでも主要な都市は落としていた。
最も少数精鋭故に長期の占拠が出来ないのでこの辺りが落とし所だと停戦して戦後処理に移っている。
フランスは連合国の独立を認める代わりにそれらの国を纏める絶対の君主は国連の支持を受けた者に限ると条件をつけてきた。
当初これに反対する向きもあったが連合自身が混乱し収集がつかなくなっているため、これを纏める事ができるなら外部勢力に頼るのも止むなしという結論に至る。
そこで白羽の矢が立ったのがカイだった。
連合国も聖戦の英雄ならばという風向きが強く、フランスは南仏への影響力を失いたくないが為にどうしてもカイを連王にしたい。
スペインやイタリアは初手で遅れてしまい様子を見ているが隙があれば介入してくるだろう。
カイはどうにか穏便に断ろうと工作を試みたが他に適任がいないと逆に泣き付かれる始末。
憂欝顔はその為である。
今でさえシモン・ド・モンフォールの再来と畏怖されているというのにこの上事実上の統治者として君臨すればその反発は今以上のものになるだろう。
いや、そんな理屈よりただ感情が王というものを嫌がる。
カイの実家は北部の旧家だ。
故に戦闘、戦争論だけでなく歴史と政治も叩き込まれている。
結果カイは君主というものに魅力を感じない。
しかも今回妥協案として出されている連王とは各都市の代表と国際社会を繋ぐ調停役のようなものだ。
はっきり言って一番面倒なところを押しつけられる中間管理職に近い。
そのせいで先程から溜息ばかり吐いている。
「何故私だ」
意識せず口調が尖るがソル相手にそれを繕う必要はない。
対するソルは素っ気なく返す。
「適任だろ」
「いつだったかお前国が欲しいとか言っていなかったか?手は回してやるからお前がやれ」
「本当にいつの話だ…柄じゃねぇ」
「それは私も同じだ。あんなものに魅力を感じない」
「だから適任なんだろ」
「それならお前でも良いだろう?」
「面倒臭ぇ」
ソルはブランデーを飲み干すと勝手に2杯目を注いだ。
金色の液体がグラスの中で波打ちキラキラと光る。
「そんなに嫌か」
「さっきからそう言っている」
甘いチョコレートを囓りながら苦い顔でカイは答えた。
「だが、それなら今調べられない物にも手を付けられる」
ぽそりと呟かれたソルの台詞にカイはスッ、と目を細める。
二人は聖騎士団において一騎当千と称えられた猛者だがあくまでそれは比喩だった。
しかしそれが比喩で無くなる技術が完成していた。
新しい法術の活用法として特定の機器を使い使用者の法力を具現化。
術者の指示に従って動く具現化した法力、サーヴァントは瞬く間に世界中の戦略書を紙くずに変えてしまった。
連合国側がこの技術を知らなかったのも敗因の一つである。
こういった技術の監視を旨とするカイにすら気づかれず今回の戦争で初めて実践投入された法術の出所は未だにはっきりしない。
現時点の問題はコストが掛かりすぎることだが用途が広く技術開発は相当な早さで行われるだろう。
生体兵器GEARの研究がそうであったように。
国際警察機構の欠点は国と国とのパワーバランスの中で簡単に動きを封じられてしまう所だ。
今でもカイは聖戦の英雄として、また警察機構長官として注目を浴びているがそれが国王ともなれば否応なく国際的に大きな立場に立たされる。
内情は弱小国であるとしても無視することは出来ない、捜査は格段にやりやすくなるだろう。
「出来ると思うか?」
カイとてそれは考えていたのだろうが踏ん切りが付いていないらしい口調で呟いた。
「俺は無能者を推薦するほどの馬鹿か?」
小さく笑いグラスの酒を飲み干すカイにソルが次を注いでやる。
「監視と抑止って意味じゃ、今やってる仕事と大して変わんねぇだろ」
「それもそうだな」
琥珀色の液体を一口含んで喉を湿らせるとついでのような軽さで口を開いた。
「ソル」
「あ?」
「時々来い。でないと仕事を放り出してしまう」
「ならず者を部屋に入れる気か?」
「私にはお前が必要だからな」
「甘ったれんな」
二人は顔を見合わせて小さく笑い軽くグラスを触れあわせる。
澄んだ音を最後に天幕の明かりが落とされた。
オクシタニア都市群がイリュリア連王国として国連に独立を認められ、カイ=キスクの連王即位が決定する前夜の事である。
end
'07.09.11 月代 燎
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事前妄想なので本気にしないでください。
南仏が舞台なのは趣味です、イリュリアはバルカン半島らしいです。
クロアチア系移民が多い、って設定もありましたが無駄に長くなるのでカット。
今でも十分長いんですがね。
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