Scotch Gambit



 カツリ、カツリ。
 白の歩兵が粛々と進軍し、黒の騎兵が薙ぎ払う。
 市松模様の戦場は一進一退の攻防を繰り広げていた。
 大理石のチェス盤で二人の男が覇権を争っている。
 白駒を操るのは聖騎士団団長、国際警察機構長官、そしてイリュリア連王国国王という輝かしい経歴を持つカイ=キスク。
 対するはカイに長年ライバルとされ辟易しながらも一勝差で勝ち越しているソル=バッドガイ。
 今日の試合は四戦一勝一敗二引き分けとなっている。
 今行っている対局が今回のラストゲームだ。
 カツン。二つめのポーンを進めたところでカイが口を開く。
「二人とも元気か?」
 カツリ。黒のポーンでそれを阻みソルが答えた。
「気になるなら、テメェで行け」
 自分の家族だろう、と突き放す。
 カイは腕を組み小さく溜息をついた。


 それが出来るならとっくにやっている。
 カイは非公式に結婚式を挙げ子供までもうけていた。
 公人として許されない行為であるがそれ以上に相手が悪かった。
 GEAR、なのだ。
 人類が生み出した人類の敵。生物兵器として半永久的に活動するそれを、ごく僅かな者を除いて、知性ある生き物と見る人間は居ない。
 元とはいえ、そのギアを殲滅する聖騎士団団長でありギア殺しの英雄でもあるカイがギアに恋をし子まで成したと言うのだ。
 これが騒動にならねば何がスキャンダルになるのだというくらいの大事である。
 その上頻繁に国連が国内勢力に働き掛けている。
 傀儡とするつもりであったカイが思いの外扱いにくく、そのくせ内政も外交も非の打ち所がない手腕を発揮しているからだ。
 元老院が危機感を募らせる程にカイが統治するイリュリアは力を付けていた。
 その彼らがこれを嗅ぎつければ喜々としてカイから王冠を取り上げ徹底的に潰すことだろう。
 国のためにも、彼女らの身を守るためにもそれだけは絶対に避けなければならない。
 その為に彼女達は連王国でない辺境の森へ姿を隠しているのだ。
 転移法術を使うのもままならない距離にあるそこへ行くには片道だけでたっぷり半日はかかる。国の最高責任者がそんなに長い間不在でいられる訳がない。
 だから自由に動けるソルに頼んで定期的に様子を見て貰っているのだ。
 ソルも事情は解っている。
 今のところ唯一の理解者と言っても良い、いやカイよりこの事態を重く見てさえいる。
 これは駆け引きの一環に過ぎない。
 戦略は盤上だけで行われるのでは無いのだ。


 白のポーンが堅実に歩み寄った。
 すかさず黒のナイトが前に出る。
「ガキの方は心配ねぇな、ありゃ。テメェに良く似てうるせぇ。アイツには手紙でも書け。顔には出してねぇが寂しがってんぞ」
「そうか」
 暫しの黙考の後白のナイトが馬を駆り進軍した。
「どんな事を書けばいいんだろうな」
「・・・・・・・・・・・・。事務書類は書けても手紙は書けねぇってか」
 黒駒を動かそうと上げた手で軽い頭痛のする眉間を解した。
 カイは多少ばつが悪そうに顎に手をやる。
「いや・・・まぁ・・・彼女に話せるような事が何もないしな」
 その彼女に聞かせるにはあんまりな言葉にソルが大きく溜息をついた。
「・・・聞かなかった事にしてやるが、その台詞をアイツ等の前で絶対に言うなよ」
「それは流石にせん」
「どうだか」
 胡乱げに言ってポーンを一歩進め白駒を一つ取った。
 白のナイトがすぐさまそれを狩る。黒駒はそれ以上進ませじと立ちふさがりお互いに難しい盤面になってきた。
 ソルがかろり、かろりと手の中で取った白駒を転がす。
 チェスは使える駒が盤上にしかないため無理にでも序盤に陣形を組んでしまえばそのまま勝敗が決することが多い。
 ここからはどの駒でどのように攻めるか、どの駒を切り捨てるかの取捨選択になっていく。
 白のビショップの動きどう封じようかとソルは思案する。
「すまないが、一つ頼まれてくれないか?」
「何だ、また厄介事か」
 視線を戦場から上げ呆れた顔をしてみせる。
「いや、まぁ、厄介事と言われれば厄介事だが・・・」
 カイとてこの頼み事が彼に迷惑を掛けるのは容易に解っているので言い淀む。
「あの子を預かって欲しい」
「・・・あぁ?」
「勿論彼女の意見を聞いた上でのお前の判断に任せるが、あの子は成長が早い。出来るだけ早いうちから広い世界を知って欲しい。私には無理だし彼女もあまり適任とは言えない。お前にしか頼めないんだ」
「・・・つまりは俺に教育係になれって事か」
「あぁ、そういう言い方も出来るか」
 眉間に皺を作るソルに珍しく遠慮がちな調子で駄目か?と尋ねる。
 返事のように音高く捕虜になったポーンを脇に置き黒のクィーンを進めた。
「何かやったら容赦なく殴るぞ」
「悪い事をすれば痛い目に遭うのは当然だろう」
「帝王教育なんてしねぇからな」
「世襲は国連が絶対に認めん。お前が心配するところではない」
 白の歩兵は最終列を目指してひたすらに進軍する。
「言葉遣いも当てにすんなよ」
「それは少し気にしてくれると有り難い」
 お互いに喉の奥で笑い合う。
「やれやれ、また子守か」
「すまんな」
 黒のビショップがじりじりと前進し白のルークが動く。


 チェスはポーンを最終列、つまり相手の陣の最奥まで運ぶとキング、ポーンを除くどの駒にでも成れる。
 その結果クィーンが二つになろうが三つになろうが構わない。
 珍しい事ではあるがプロの世界でも全く無い訳でもない。
 一マスずつしか前進できないポーンを守りながら相手の陣をどこまで切り崩せるかで手腕が解る。
 カイが白駒を握った時、つまり先攻を取った場合ポーンを二つ捨て、素早く駒を展開できるスコッチ・ギャンビットという定石を好んで使う。
 そこまでなら良くあるのだが彼はナイトを多用した。
 ナイトは動きの特殊性から防御に使われることが多くフォローのし難さもあって攻撃の駒ではない、という認識が強い。
 だがその小駒でポーンを守りクィーンを狩り時にはチェックすらかける。
 初見で対応できずに敗れ邪道だと言うものも居るが、ソルは実に百戦以上カイと対局していた。
 そのあしらいに慣れ、逆に他の者と対局した際ナイトを意識しすぎてミスをするほどだ。
 ではそのソルはと言うとクィーンズ・ギャンビットで堅実に試合を進める事が多い。
 序盤は本のように、という言葉があるがクィーンズ・ギャンビットほど派生型が多い定石もない。
 クィーンが強く、使いやすい為だ。
 逆にクィーンに頼りすぎると自滅するがソルがそんな醜態を晒したことはない。
 派生が多いという事はオールマイティーな対応ができるという事でもある。
 だがこれは何手先を読めるかで勝率が大きく変わる。
 二人ともプロではないが十二法階を操る実践的数学者でもある。
 プロの条件として八手先読みが上げられるが彼らは五手、六手先ならほぼ確実に読めた。
 中盤に差し掛かると定石にとらわれない奇術師のような用兵が求められるようになるが、かつて電子頭脳『ディープフリッツ』が世界チャンピオンを破ったことを鑑みると、自分はミスを犯さずに相手の一手一手がミスかどうかを見極めて攻めるのが最も重要だという事が分かるだろう。
 人間は必ず悪手を打つ。
 ごく些細なその一手を誘い、或いは待つ。
 それがチェスというゲームだ。


「ソル」
 カイが白のキングを手に取り呼ぶともなしに呟く。
 ソルは返事はしないが盤上を見る眼の動きで次の動きを悟られまいと閉じていた瞼を開けた。
「私は良き王でいられるだろうか」
 手の平に収まるキングの駒を半ば睨み付けながら独り言のように漏らす。
「家族も守れないで、本当の意味で良い王であり続けられるだろうか」
 私はこんなに小さな駒に過ぎないのに。
 それをきつく握りしめる。
 今はまだ国連の盤上に置かれた駒に過ぎない。
 常人ならそれで良い、だがカイは己の野心の為盤の外へ出る決意を固めていた。
 矛盾しているようだが、そうなるには民を裏切り欺かなければならない時がある。
 家族を裏切り、臣民を欺き、結果的に野心を達成してもそれが良き君主と言えるのだろうか。
 一拍置き、ソルが口を開いた。
「テメェは何がしたい?」
 質問に質問で返され眼をしばたたかせたが即答する。
「人間やギアという種の隔たり無く暮らせる世界を作りたい」
 カイの本質は騎士だ。
 しかもそれは恐ろしく実用的で実戦的な為安寧の世を治めるのに向いていない。
 自分でもそこを理解しているから初めは断り続けていた。
 しかし気付いたのだ。
 仮に今のまま自分が死んでも何も変わらない。
 彼女も、彼女と自分の血を分けた子供も、この男でさえ世界から追われる身のままだ。
 ならば世界を変える。
 その為の武力も謀略もある。
 こうして権力を持つ決心をした。
 だがその家族を守る事が出来ない自分は、正義という我欲に取り憑かれた狂人ではないか。
 カイの危惧とはそういうものであった。
「正否なんざ、百年後の歴史家にでも任せてろ。目的がはっきりしてるなら使える手駒で出来る範囲を積み重ねていくしかねぇだろ」
「だがそれで本当に良いのか?」
「そんなに心配なら、テメェがおかしくなった時は俺が殺してやろうか」
 自惚れではない。
 仮にカイが狂ったとして止められるのは自分か、他に片手で数えられるくらいだろう。
 そしてその誰よりもカイを知っているのは自分だと客観的に思っていたし、事実でもあった。
 カイは間違うことを恐れているのではなく、それを正す者が身近に居ないことをこそ恐れている。
 長い付き合いならではの洞察であった。
「そうだな、殺されるならお前が良い」
 晴れやかな笑顔でキングを動かしそう答える。
 肩の荷が下りた、という風情だ。
「そもそも、何でガキを作った。ゴムがなかったとかいう下らねぇ冗談を言ったら焼くぞ」
 ぼそりと、お前も意外に頭が硬いなと呟く。
 それを無視しソルは黒のルークを上げた。
「私はいつか死ぬ。私は人間だしそうであることに誇りを持っている」
 静かに、黒駒を見据え白のクィーンを進めながらカイが続ける。
「だが、人間ではいつまでもお前の傍に居られない」
 ソルは単調な声に怖気を感じ駒を動かす手が止まった。
「あの子はギアの血を受け継いでいる。恐らく私よりずっと長く生きられる」
 綺麗に微笑むカイに瞠目する。
「私にそっくりなあの子は、きっとお前に懐いて、ずっとお前の傍に居るだろう」
 驚愕と僅かばかりの驚怖が混じったソルに笑みを深くした。
「指さないのか?」
「テメェは…」
 カッ、大理石が割れそうな勢いで黒駒を進ませる。
「本当にそんな理由か?」
 ソルが驚怖を振り払うかのように、或いはそれを怒りに変えたかのように険しい目付きで睨み付けた。
 口角の笑みを残したまま白駒を動かす。
「まさか、それだけの理由ではない」
「なら…」
「ギアをただの兵器と思っている人間の目を覚まさせるため、というのも大きいな」
「テメッ…」
「落ち着け。結果的にそうなったというだけの話だ」
 立ち上がり盤をひっくり返しそうなソルを制する。
「一番の理由はやはり、お前を残していく事だったからな。これで解消出来ると思ったのも事実だ」
 手の甲に顎を乗せ不遜に微笑むカイに本物の狂気を感じ後退りたくなる。
「なぁ、ソル」
 含み笑いをしながらカイは盤を指した。
「詰んでいるぞ」
 慌てて白黒の戦場を見れば確かに六手先で詰んでいる。
「チェックメイト、だな」
 黒のキングを倒してカイが勝利宣言をする。
 カイは舌打ちをするソルに笑顔を崩して笑いかけた。
「実に下らない手だが、有効でもあるな」
「っ!テメェ、はったりか!」
「あんな芝居に引っかかる方が悪い。あの子は私と彼女の関係の延長線だ。お前にくれてやる気はない」
 それにしても、と引きつったソルの顔を思い出してか体を震わせて笑う。
 この男にしては珍しい程の大笑いだ。
 質の悪い戦略と自分の滑稽な姿の憤懣を青いマントに蹴りを入れて解消する。
「絶対テメェみたいな根性曲がりには育てねぇからな」
「そうしてくれ」
 笑いながらソルの背中を見送り誰も居なくなった部屋の天井を見上げた。


「だって、なぁ」
 呟かれる声を聞く者はない。
「私にはお前に嘘をついても」
 歪んだ素顔の笑みを見る者もない。
「お前を守る義務がある」
 誰の為でもなく、自分が騎士である為に建てた誓い。
 カイには闘争が不可欠だ。
 幼少から戦士として、政治家として育てられ貴族の義務を当たり前にこなしてきたカイにとって戦いとはすぐ傍にあって当たり前のものである。
 彼自身、己の本分は人殺しだと知っていた。彼以上に政治的にも実戦的にも相手を殺すのが上手い者はそうそう居ない。
 騎士も本来は人殺しである。
 人殺しが騎士に成る条件は守る対象の有無だ。
 彼は守る対象にソルを選んだ。
 そしてカイは決めた事は徹底する性質を持っていた。
 ソルを守る為なら当人に嘘をつき世界中を欺いたとしても良心は痛まない。
 彼に認められないなら他の誰に賢王と称えられても意味がないのだ。
 巻き込んでしまった彼女には悪いし、愛しているのも事実ではある。
 だが、カイにとってそれ以上に何よりも大切なのはソルでしかない。
 家族も、世界平和もソルの安寧の為の道具に過ぎないのだ。
 職人は道具を大切にする。
 目的達成のためにそれが必要不可欠だからだ。
 彼の世界はソルの為にある。
 何故なら、
「私はお前の騎士だから」
 騎士は笑い、王の仕事に戻った。




'07.12.27
'08.01.25加筆修正
月代 燎
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冬コミで出したコピ本の修正版。肝心な騎士が騎士である説明がすっぽ抜けていたので公開。
デズ嫌いじゃないんですが馴れ初めが解らないので女王第一の騎士です。
愛がいっぱいある騎士もフランス人らしくて良いと思うんですが(笑


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