「もう、お帰りになりますの?」

「ええ、明日も早くから仕事がありますので」

「確かに騎士団のお勤めは尊い物ですわ。でも、一日くらいでしたら……」

「申し訳ありませんが、身勝手が許される地位ではありませんので」

「差し出がましい事を申しました。では今度は……」

「今夜限りと、そうお約束した筈ですが?」

「まさか、本当に今夜限りで?!」

「何が貴女に誤解を与えたのかは解りませんが、私はそのままの意味で言いました」

「そんな……わたくしは、こんなにもお慕いしておりますのに……」

「そのお気持ちは有難いと思っています。しかし今は騎士団と自分の事で手一杯ですので」

「その中にわたくしを入れる、機会すら下さいませんの? 会うだけでも……」

「すみません」

「……。酷いお方。天国を見せておいて、地獄へ落とすだなんて」

「貴女が良き伴侶と巡り会えますように」

「貴方の中に焼け焦げるような衝動をもたらす方が現れますように」



密会



 宵っ張りのパリの灯とエッフェル塔を遠くに見ながら、ソルはコアントローを口に含んだ。

 柑橘類の香りと甘味に、果皮の渋みが混じった独特の味が舌に残る。

 度数は高めだが、代謝能力が高く酩酊する事のないソルにとっては喉を湿らせる程度の意味しかない。

 再び机に向かうとペンを走らせ、術式の試算を続ける。

 個人部屋を与えられているソルは、昼でも一人きりになって試算をすることは出来る。

 しかし此処、聖騎士団本部には多くの人間が暮らしている為、日中はやはり騒々しい。

 集中するのにはやはり深夜の方が好ましかった。

 だが不意にその静寂は破られた。

 窓をコツコツと叩く音に机から顔を上げる。

 年若い己の上司が何故かそこにいた。

 見間違いではないかと一旦瞼を閉じて周辺の筋肉をほぐしてから、もう一度そちらを見る。

 やはり居る。

 規律に厳しいカイが何故この深夜にソルの部屋の、しかも外に現れたのか。

 そのカイが身振りで開けろと促す。

 無視したいところではあるが、それをすると強引に入って来る予感がしたソルは渋々窓を開けた。

「こんな時間に何してやがる」

「付き合いが長引いた。煙草か、酒は無いか?」

「お前……個人での飲酒喫煙が禁止されてるって解ってて訊いてるだろ」

「無いのか?」

 明らかに落胆した表情を見せるカイからは香水の匂いがした。

「自分の女の所でやれ」

「そんなものが居たら、こんな苦労はしてない」

 うんざりとしてソルが言うと、カイは諦めと嫌悪の混じった口調で返した。

 いつもと違うカイの様子にソルは違和感を感じる。

 疲労の浮かんだ秀麗な顔に暫し思案し、結局部屋に招き入れた。

 軽快とは言い難いが、それでも音を立てずにソルの部屋へ入ったカイはきちんと窓を閉めた。

 ソルの座っていた椅子に凭れかかる。

 平素疲れを見せない少年のような彼からは想像できない所作に、面倒事の予感がヒシヒシとした。

 机上の琥珀色の瓶に気付いたカイが手を伸ばすが、ソルはそれを制してコップを差し出した。

 蒸気を上げる白い液体に唇を尖らせる。

「牛乳じゃないか。ここまで来て子供扱いか?」

「空きっ腹に酒を入れる気か? いいから先にこれ飲め」

 不満げながらもカイはそれを受け取り甘い湯気を立てるそれに口を付けた。

 飲んでみれば、じんわりと染み入る熱と華やかな香りのする甘さにほっと息が零れた。

「蜂蜜か、美味いな」

「寒い時に熱い物を飲めば大体美味く感じる」

 それもそうだと言いゆっくりと飲み干す。

 空いた器にひとかけのチョコレートを落とし湯を少量ずつさしながら溶かしていく。

 仕上げにコアントローを混ぜ入れると、甘酸っぱい香りが立ちこめた。

 出来上がった甘い甘い飲み物にカイが首を傾げる。

「お前、甘党だったのか?」

「酒は20歳になってから」

「スピリタスでも平気なのに」

「飲んだのかよ」

「フィンランド遠征は大変だった。意外といけるな、これ」

 ソルは何やってんだ、じじぃと口の中だけで悪態をついた。

「煙草は?」

「ねぇよ」

 さも当然のように訊いてくる未成年の大隊長に頭痛を覚える。

「いかにも飲んでそうなのに」

「やってねぇっつーの。壁見ろ」

「外でとか」

「しつこい。そんなの吸ってるから身長伸びねぇんだろ」

「それは嫌だな。190とは言わないが、せめて180は欲しい」

「だったら禁煙して早く寝ろ」

「今寝るとこの匂いに魘されそうだ」

「風呂入れ」

「入った、それでもこれだ。何より女の匂いがまだ鼻に残っている気がする」

 甘いカクテルを一口飲む、その表情は苦かった。

「別にゲイではないが、こう匂いが強いと辟易するな」

「それで煙草か」

「ああ、いつも吸ってる訳ではない。匂い消しだ」

 ソルは割らずに注いだコアントローを持って寝台に腰掛ける。

「坊やにも女が居るとはな」

「特定の相手という意味での女は居ないぞ。一晩限りの付き合いだ」

 さらりと返された言葉に、一瞬ソルの思考が止まった。

「一晩限り?」

「ああ。誰が相手でもそう断って、朝帰りにならないよう気をつけてやってるんだが、

 私の話を聞いてないか、自分に都合良く解釈する女が多くてな。

 お陰で帰りがこうして遅くなって、ただでさえ短い睡眠時間が削れると言うわけだ」

 淡々としているがどこか煩わしげな口調は、若者にありがちな自慢を滲ませた不自然なものではなかった。

「嫌なら断りゃ良いだろう」

「下手に断ると面倒事を起こしてくれるから、適度に付き合う必要がある。

 ハニートラップの危険もあるしな。深入りは出来ん」

「十五歳のガキにハニートラップだぁ?」

「ガキだからだ。手練手管で落として意のままに操ろうと目論む訳だ」

 そんな物に引っかかってやる義理はないがな、と薄ら笑いを浮かべる。

「直情な潔癖性ってわけでも無かったんだな」

「そう思わせておけば油断を誘える。必要なら大抵のことはやるぞ」

 口の端を吊り上げるだけの笑みは端正な顔立ちに異様な迫力を持たせた。

 それは碧い目が宿す、強い光の所為かもしれない。
 十代もようやっと半ばを過ぎた青年が浮かべるには異質と言っても良い表情に
 ソルは気付かれないように小さく溜息をつく。

 しかしそれを見咎めたカイが質の悪い微笑を深くした。

「何だ? 見た目と正反対の中身に失望したか?」

「その顔に騙されてる連中が哀れになっただけだ」

「この顔で得をしたことより、損をしたことの方が多い気がするな」

「テメェの知らない所で得をしてるかもしれん」

「しかしなぁ、この顔の所為で変なのに目を付けられたり、
 勝手な妄想を押しつけられたり、大変なんだぞ」

 先程の威圧感が嘘だったかのように、疲労も露わに溜息をついた。

 その落差に戸惑い、話題を変える。

「そもそも何で此処に来た」

「お前ならこの時間でもまだ起きていて、酒や煙草をやっていそうだから」

「嫌いって公言してる相手に酒たかりに来るか、普通」

「お前はいきなり私が来ても慌てふためいたりはしないだろう。その図太さは買っている」

「褒める気ないだろ」

「私からの讃辞など、お前は歯牙にもかけんだろうに」

「誰に何言われようが関係ねぇ」

「そうだな、お前はそうだろうな」

 常の笑顔とは違うが、ようやくカイの表情が和らいだ。

 その表情を確認してソルは自分の酒に口を付ける。

 奇妙にずれた会話の後に降りた沈黙は、不思議と気まずいものではなかった。

 カイが飲み干した器に、今度は生のままのリキュールを注いでやる。

 瓶の色とは違う無色透明の液体を見ながらカイは呟いた。

「お前が羨ましいよ」

 ソルは答えない。

 だがカイは独白のような言葉を止めない。

「自分の意のままに行動できるお前が羨ましい」

「坊やは全部ぶちまけて好き勝手したいのか?」

「いいや。私にはやるべき義務も、それを果たすだけの力もある。
 それでも時々全てがどうでもよくなる時がある」

 だからと言って本当に全てを投げ打ってしまえる程浅慮でもない。

「お前が羨ましいよ、同時に憎たらしくもある」

 八つ当たりだなとほろ苦く笑う。

「さっきも言ったが俺は別に何言われても気にしねぇよ」

 反撃しないという意味ではなかったが、ソルはそう答えた。

 カイは鬱屈を笑みにして漏らす。

「それだ。その余裕が気にくわない」

「そうかよ」

「ああ、気に入らないな。全く気に入らない。殺せるものなら縊り殺してやりたいよ」

 笑いながらも殺伐としたその言葉には悪ふざけとは言い切れない気配があった。

 しかしソルはそれすら軽く肩を竦めただけですませる。

 そういったカイの神経を逆撫でする余裕とも取れる態度が、
その実自傷にも似た諦観だとカイが知るのはそれから暫くしての事だった。

「酔っぱらいはさっさと寝ろ」

「この程度で酔えるものか。もっと強いのは無いのか?」

 空になった器を振り催促するカイにソルは素っ気なく無い、と答える。

「飲んだんなら自分の部屋に帰れ」

「次はレミーマルタンでも用意しておけ」

 立ち上がるカイは蹌踉めきもしなかった。

「むしろテメェが持ってこい」

「考えておこう」

 扉が閉じてソルは盛大に溜息をつく。

「利口すぎるのも考え物だな」

 

 その後、深夜に彷徨くカイの姿を見たという噂が流れるがカイ本人はいつもの綺麗な笑顔で否定し、
ソルが口を閉ざした為、甘くも不穏当な密会は表沙汰にはならなかった。

 
 
 
 
2010.11.21  月代 燎
-------------------------------------------------------
誕生日祝いに間に合いませんでした。
そもそも内容的に祝ってないという。
その内書き直すかも知れません、多分もっと悪い方向へ。
カイスキーな方には申し訳ありません、でもこういうカイが私は好きです。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送