No Fate
少年は石塊と建物の形を辛うじて保った街を走っていた。
あちらこちらから火の手が上がり人々の悲鳴と獣の咆吼が響く。
時折石塊や打ち倒されたギアの肢体につまずきそうになりながらも少年は生き延びる為に戦場から脱しようと駆けていた。
髪や服は戦火で煤けているが質が良く貴族の子弟然としている。
だが少年は今の無力な自分では戦えないと思い知らされた。
しかし何年かすれば必ずあの聖騎士のように剣の一振りでギアを倒せるようになる。
その為に今は逃げてでも生き抜くことが重要なのだ。
戦闘のものか、破砕音と絶叫が近くで起こり少年は足が竦んで立ち止まる。
忙しく首をめぐらして隠れられそうな場所を探すがその前に辛うじて原形を保っていた建物を壊して巨大な化け物、ギアが姿を現した。
少年は咄嗟に逃げようとしたがその巨躯が動く気配はない。
一体何者がこのギアを倒したのかと彼は焼かれ切り裂かれた脚や腹に目を見張る。
その時、塀であった壁の影から一人の男が出てきた。
少年は男を見た瞬間呼吸を忘れてその一挙手一投足に釘付けになった。
まだ10歳にもならぬ少年から見れば見上げねばならないが、特筆する程長身ではない。
戦士としての体格で見れば鍛えられた見事な体躯をしているのだが先程遇った聖騎士のように傑出しているという訳でもない。
しかしその雰囲気は全身に返り血を浴びている事を差し引いても近寄りがたい殺気を振りまいている。
その視線は倒れたギアに注がれており少年の目にはそれが殺意よりも悲哀に満ちているように映った。
男が少年の視線に気付きその姿を認める。
赤と金のヘテロクロミアに少年は引き込まれるような昂揚を憶えた。
どくり、と少年の心臓が大きく跳ね形容しがたい感情がわき上がる。
男は少年の様子には気付かず軽く舌打ちをして声をかけた。
「はぐれたのか、坊や」
他の音を圧する声に我に返った少年はしかし横に首を振る。
「いいえ。戦おうと、思って。でも追い返されてしまいました」
男は軽く瞠目し無茶な坊やだ、と零した。
「出口は知ってんのか」
今度も金の頭を振る。
男は小さく溜息を吐き辺りを見回すが戦場は動いてしまったらしく人の姿もギアの姿も見あたらない。
「しゃあねぇな。ついてこい」
少年は駆け寄り男の顔を見上げた。
赤い額当てから褐色の長い髪が戦火の熾す風に靡いている。
表情は険しいが髪の隙間から覗く瞳は悲嘆そのものだ。
まるでいつか見たミケランジェロのピエタのようだ、と少年は思った。
見惚れていると男は無言で歩き出し、少年も早足でそれに倣う。
「私はカイ=キスクと言います。貴方は?」
少年はこの不思議な男と話そうと名乗ったのだが返ってきた言葉は素っ気なかった。
「名無しだ」
子供故に馬鹿にされたと思ったカイは声を荒げる。
「巫山戯ないで下さい!子供だと思って馬鹿にしてるんですか?!」
「別に馬鹿にゃしてねぇよ。ホントに忘れただけだ」
戦うのに名前はいらねぇからな、そう付け加えて男は邪魔な瓦礫を蹴り飛ばした。
彼の口調に嘆きはなく当然の事を話している様子しかない。
そんなものは彼の嘆きにはならないようだ。
「それは、貴方を呼ぶ人が居ないという事ですか?」
流石に遠慮がちに少年が尋ねる。
あぁ、と短い答え。
常在戦場を旨とする男は名を捨てて長い。
そしてまたどんな功績を挙げても名を残せるような立場でもなかった。
「“背徳の炎”ってのが一番通りが良いな」
「背徳、ですか?」
少年はその通り名に訝しげな視線で男を見上げる。
先程の悲愴とさえ言える表情に似つかわしくない響きだ。
「生きている事自体が罪なんだと。だから死ぬまで燃え続けろと言いたいらしい」
まるで他人事のような口調で男は不名誉な自分の通り名を語る。
その表情には悲痛も赫怒もなく、淡々と当然のように男はその汚辱を被っていた。
男は己を嘆いてあんな目をしたのではない。
もっと別の何かの為に泣いていたのだと知った少年は怒りを滲ませる口調で断言した。
「貴方には、そんな名は似合いません」
自分の為に泣かない人にはあまりに不名誉な名前。
「絶対にその名前は間違っています」
言葉にしてその思いが強まる。
この男は生の全てを否定する屈辱的な名前を諾と受け入れている。
少年はその名を与えた者も、それを受け入れている男にも腹が立った。
「俺は気にしてねぇんだ。坊やが怒ることじゃねぇよ」
男は苦笑して少年の金色の髪をくしゃりとかき混ぜる。
男には少年の言動は苦痛だった。
他人の為に本気で怒ることが出来る子供の真っ直ぐな視線は、自身の罪を語れぬ男には苦痛以外の何者でもなかった。
「では何故泣いていたんですか」
「何?」
余りにも予想外の一言に男が歩みを止め、カイは改めて男を見上げて思う。
綺麗な人だと。
さっきの胸騒ぎはその所為だったのだろうと少年はあっさり得心した。
「さっき泣いていたでしょう、ギアを倒した時」
一応顔に手を当てるが涙を流したような形跡など当たり前だがない。
「見間違いだ」
「泣いていました」
「何でそう思う」
「目が、泣いているようにしか見えませんでしたから」
大した根拠でもなかったと男は溜息を吐く。
「勘違いだ、大体…」
「人は」
ひたりと眼を合わせると少年の目は男が驚く程妙な迫力があった。
「人は、涙も流さずに泣けます」
貴方がそうでしょうと続けるカイの視線の強さは子供にありがちな思いこみの所為ではない。
身なりの良い不自由のなさそうな少年がするにはあまりに不釣り合いな自分にも経験のあることを語る者の眼だ。
「お前にもあるのか」
涙も流さずに泣いたことが。
「あります」
毅然としていた少年の目が暗く翳る。
「半年前に私を庇って母が死にました。父も三年前に聖騎士として戦死しています」
世はギアと人類の生存を懸けた戦争だ。
両親を亡くし帰る家も焼かれた子供など山のようにいる。
それを思えば自分は姉や親しい人達が居ることを考えれば恵まれている。
なにより泣いても喚いても死者は生き返りはしないのだ。
そんな諦観もあった為カイは比較的冷静に両親の死を受け入れている。
少年の心には父の生き方と母の死に様とギアへの憎悪が残り、そうしてカイは聖騎士になろうと決意したのだ。
「…そうか」
男は短く答え目を伏せる。
カイはあぁ、と嘆いた。
またそんな風に泣いて、と。
「貴方にはそんな顔は似合いません」
くっ、と男は口の端を釣り上げてそうかよと返した。
その自嘲のような顔もまた作り物めいていて少年は渋面になる。
その時、カイの心は決まった。
「私が貴方を守ります」
「……は?」
男が聞き返す前に少年は戦塵にまみれた男の手を取る。
「私が貴方を傷つけるもの一切から守ります。
貴方の心を傷つける貴方自身から守ります」
「おい坊や」
「私は父と子と聖霊の御名においてあなたを守る騎士となることを誓約します。
これが守られぬ時、私は主の裁きによって命絶えるでしょう。
これが叶わぬ時、私は自らの剣によって息絶えるでしょう」
斯く在れかし、と結んだカイは目を閉じて恭しく男の無骨な手に口付けた。
男はただ呆然とそれを、他人の手であるかのように振り払うことすら思いつかずその光景を眺めていた。
伏せられたブロンドの頭が持ち上がり光るターコイズブルーの眼が男を見つめる。
そこで我に返った男は少年から手を取り戻し大きく溜息を吐いた。
少年の真っ直ぐな目はどうやら先程の台詞を本気で口にし、それを翻す気が全くないと確認させるだけだった。
しかし子供の本気など長く続くものではないしまともに取り合う程のものでもなかろうと男は再び歩き出す。
カイはそれについて行きながら思う。
男は自分の言葉を信じていないだろう。
今はそれでもいい。
だがいつか必ず男を守れるようになることをカイは己に課した。
少年は自分をそうまで駆り立てる感情の名を知らず、男にはそれを察する術も無かった。
「名前ですが、私が決めても良いですか」
男は勝手にしろと言わんばかりにひらひらと手を振る。
歩きながらカイは男の目を見ていた。
暗い赤と燃え盛る炎のような金色。
「では、ソルというのは如何ですか?ラテン語の太陽です」
訝しむように男は少年を見下ろす。
「貴方の赤と金はどちらも太陽の色ですから」
それ以外のものなどないといわんばかりの笑顔でカイは言った。
男は肩を竦め何かに気付いたように視線を固定する。
「坊や、そこの物陰に隠れてろ」
カイは男の真剣味を帯びた表情を見て素直にそれに従った。
男は先手必勝とばかりに無骨な鉄塊を振り瓦礫の影に隠れていたギアを無雑作に焼き払う。
奇襲が失敗したと見るやギア達は一斉に男に襲いかかった。
狼のような姿をしたそれらは血色の目をギラつかせて素早さと連携を武器に男に牙を剥く。
しかし男も並の手練れではない。
向かってくるものには悉くカウンターを喰らわせ包囲しようと間合いをとるものには炎を放ち数を減らしていった。
カイはその戦いぶりに心を奪われる。
圧倒的な熱量と肉の焼ける臭いは不快だが翻り猛り呑み込む炎と力任せのようだが的確に振るわれる剣の技は力強い舞踏のようで美しい。
ソルという名前は正しかったとカイは笑みを漏らす。
その為に真後ろから迫るギアの気配に気づけなかった。
背後の殺気に咄嗟に前転の要領で建物の影から転がり出るのと、壁が砕けるのとはほぼ同時だった。
擦りむいた掌を気にする間もなく振り向くと濁った血の色をしたギアの目とかち合う。
背中を見せれば引き裂かれると直感したカイは汗を滲ませながらも怯むことなく睨み付けた。
ジリジリとカイは男の方へ下がるがギアも不用心に襲いかからずゆっくり間合いを詰める。
ともすれば叫び逃げ出したい衝動を抑えて下がっていると金属の音がした。
音からして恐らく剣だ。
徒手よりはマシだがギアが牙なり前足なりで自分の頭を打ち砕くのと自分がそれを拾い上げるのと、どちらが先か。
緊張はしているが先程の聖騎士に殺気を向けられた時ほどの恐怖はない。
それは騎士として誓約を立てた為だがカイ自身はそれに気付いていなかった。
後ろで一際激しい爆発音が起こり、それに押される形でカイは爪先に乗せた剣の柄を拾い上げる。
ギアは獲物の動きに反応して大きな顎を開き小柄な少年を呑み込もうとした。
カイは恐怖よりも赫怒よりも激しい血の沸騰に従い体ごとぶつかる。
握りしめた剣の柄に肉を断ち切る嫌な感触が伝わり獣の血の臭いが鼻を突いた。
苦悶の声を上げてギアが身体を捩り少年を振り払おうとするがカイは決してその手を放そうとはしない。
より深く、刃の根本まで刺し入れる。
するとギアの動きは緩慢になり、むなしく前足が宙を掻いて唐突にその動きを止めた。
柄に伝わる筋肉の震えが消えるとカイは不意に力が抜けてバランスを崩す。
死骸の下で藻掻いているとあっさりその重みが取り除かれ残りのギアを掃討した男がカイを立たせた。
ギアの身体からは刃こぼれした剣が生えており、それはカイが自分でギアを倒したことを実感させるのに十分だった。
「やるじゃねぇか」
男はカイの服の汚れを払いながら苦笑する。
その言葉にカイは血で汚れた頬を興奮で赤く染めて笑い、男の嘆きを察することが出来なかった。
今の世は子供がギアを殺して笑うのだ。
男は感傷に引きずられそうになるのを堪えて少年に背を向ける。
「私は必ず貴方を守れるくらいに強くなりますよ。どんなギアも倒せるようになります」
興奮気味に少年が言う台詞に男はぽつりと呟いた。
「ギアが憎いか」
カイは軽く目を見開いて驚く。
「憎くない人が居るんですか?」
それに男が小さく自嘲を漏らしてそうだな、と目を伏せた。
カイはその様子に困惑する。
ギアを憎悪し、それと戦うのは少年にとっては当然だからだ。
それは正義だ悪だと論ぜられ、憎悪や憤怒以外の感情が向けられることのない絶対悪だった。
「ソル…」
その表情の意味を知りたくてカイはその名を呼ぶが男は違う音に反応して首をめぐらせる。
その仕草はどこか獣じみていて男に似合いだとカイは思った。
近くで爆音とギアの咆吼が響く。
男は舌打ちしてカイに覆い被さるように伏せた。
「ソルっ!?」
男の行動にカイの心臓が大きく跳ねる。
服越しにも躍動する筋肉の感触は伝わり、返り血なのだろう、血臭が深くなった。
だが少年の混乱は傍の建物が吹き飛ばされ大きな地響きが起きたことで収まる。
男は自分を庇ったのだ。
「ソル!怪我は?」
「そんなにヤワじゃねぇよ」
降りかかった破片や砂埃を払おうと男は立ちあがりカイもそれに倣う。
三階建ての住居を壊し大通りの半分を頭だけで塞ぐ巨躯のギアの目は閉ざされていた。
「これを倒せるようになるのは大変でしょうね」
「一人でそいつを倒そうなんて考えるな。人間がギアを倒そうとするなら多対一の状況にしなきゃならん」
カイは不思議そうに男に視線を移し貴方は、と言いかける。
だが突然轟音が鳴り響き、倒れていた巨大なギアが前肢で倒壊を免れていた建物を薙ぎ払いながら立ち上がった。
大小様々な石材の破片が飛んでくる。
犀のようなそのギアは全身から夥しい量の血を流していても尚戦う為に咆吼を轟かせた。
男は鋭く舌打ちをし少年を逃がそうとそちらへ視線を走らせるが、カイは頭から血を流して倒れていた。
運悪く先程飛んできた破片が頭を掠めたらしい。
男は思わず罵声を吐いて、ヘッドギアをむしり取った。
長い髪が膨れあがった法力の中を激しく舞う。
両眼が金色に輝きギアに向かって腕が振るわれた。
指示を受けた業炎は火線を描き恐ろしい熱量を持った炎がギアの巨躯を包む。
瀕死であった巨大なギアはそれに耐えきれずに断末魔の絶叫を上げて再び倒れ伏した。
うねる法力も大気を歪ませながら男の身体の内へと収まる。
男はヘッドギアを着け直して大きく息を吐いた。
少年は完全に意識を失っているのだろう、ぴくりとも動かない。
苦手ながらも男が治癒法術を施して額からの出血を止めると出来るだけ揺らさないように少年を背に負う。
「つまんねぇ死に方すんなよ」
小さく男は呟いたが少年がそれを知ることはなかった。
カイ=キスクは狭い寝台の上で目を覚ました。
「カイ!起きたの?」
「姉上…」
外見に反して気丈な、と言うより気の強すぎるきらいすらある姉が疲労の濃い顔を緩ませてカイを覗き込んでいた。
そこでカイは遅まきながらも自分が寝ているのが汽車の個室であることに気付く。
自分は確かギアが襲ってきた街から避難する途中で姉の元から飛び出し聖騎士に会った。
生き延びて見せろと言われて避難所に向かう途中…どうしたのだろう。
「無茶ばかりして。戦うつもりがあるならもう少し考えて動きなさい」
「はい、すみませんでした」
「でも大事が無くて本当に良かったわ」
そう言い姉はカイの頭を柔らかく撫でる。
「頭から血を流して倒れている所を親切な方が届けて下さったそうよ。お名前も告げずに行ってしまわれたんですって」
「そう、ですか…」
それだけではないはずだ、自分は何かとても大切なことを忘れている。
そんな焦燥感がカイの胸の中に渦巻いていた。
「その人はどんな方でした?」
ここで姉はにっこりと微笑む。
親しみの籠もった、しかしカイにとっては最も恐ろしい微笑だった。
「私は生きた心地がしないまま貴方を捜して避難所を駆け回って救護キャンプでベットに寝かされている貴方を見付けたの。
だから私もその方を見ていないわ。私もその方に是非御礼を言おうと思って色々な方に尋ねて回ったのだけれど詳しいことは解らなかったわ。全身に返り血を浴びていて服の色も見えなかったのですって。戦場ではゆっくり休めないし、聖騎士様方のお邪魔をしてはいけないと思ってこの汽車に乗ったのだけれど。不出来な姉でごめんなさいね」
表情自体は微笑しているが全く笑っていない目がひたすら恐い。
ともすれば弧を描く口の端から牙でも覗くのではないかと思うくらいに恐い。
「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
「解ってくれて嬉しいわ」
冷や汗を垂らしながらカイは平身低頭で謝り、姉はそれを快く受け容れた。
ちなみにここでごねようものなら寝間着のままで客室から放り出される。
最悪、途中下車させて歩いて帰ってこい、と言いかねない。
カイ=キスクの姉とはそういう人だった。
「さ、もう少しお休みなさい。検査では異常はなかったけれど、疲れたでしょうから」
姉はそう言い、心からの笑顔を浮かべる。
機嫌が直ったと見てカイは素直にベッドに沈み込んだ。
「はい。おやすみなさい、姉上」
「えぇ、おやすみ」
姉はカイの口元が僅かに動いたのを見て取ったがなんと言ったかまでは判らなかった。
数年後、少年は約束よりも早く聖騎士に叙せられた。
その時には既に高度な剣と法力、戦術・戦略そして政治の技をも持っていたが、
カイは自分をそうまで駆り立てる感情の源を思い出すことはなかった。
偶然でも必然でも運命でもないカイ自身が立てた誓約は失われてしまった。
かくて彼らは再会する。
男はその時カイが与えたソルの名を名乗っていた。
end
'06.12.25 月代 燎
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どれだけ名前ネタ好きなんだとセルフ突っ込み。
それ以前に過去を捏造しまくりです、楽しかったです!(帰れ
実は仇敵で忘れられていてこっそり落ち込んだ女王って萌えませんか。
そうそう、仇敵と初対面の印象が違いますが、あれは女を知っているか否かの違いです。
おこちゃまには女王のフェロモンは理解できないんですよ(笑
それ故に先入観無く物を見られるわけですが。
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